白黒的絡繰機譚

眠れない夜もある

指先が空を切る感覚で瞼を開く。奪われていた筈の枕は凹みすら元通りになっていて、それが随分と前なのだと示している。
だからなんだ、と言ってしまえばそれまでだ。先に起き出した方がもう一方の肩を揺り動かしてのろのろと着替えを始める……というのは、別に約束したことでも何でもない。今はまだ明けより夜に近い時間だ。朝食には早すぎるが、夜食にも遅すぎる。
さて、どうしたものか。寝直すには意識がはっきりしすぎていて、それに……どこか、落ち着かない。空を切った指先をじっと見つめて、溜息を吐いた。そこまで入れ込んでいるつもりなんざ、ないんだが。
服を拾い身につけて、少し肌寒い廊下に立つ。アイツの部屋は覗かない。まだネクタイやベルトが床に残っていたからだ。ならば、と思案して、一度部屋に入り直す。照明をつければ、記憶との違いが明らかになり、行き先も一つしか無いと確信する。

「――悪ガキも寝る時間ですぜ」

人のいない、薄明かりの喫煙所。そこにうずくまる人影一つ。のろのろとこちらを見上げた顔は、本当にガキみたいで。ちょっと前までとの落差にどうにかなりそうだ。

「もう十分寝たじゃないか」
「そんなかすれ声で言っても説得力がねぇな。人の煙草持ち出して何やってんだか」
「何って……吸ってるんだけど」

ふう、と煙を吐きかけてくる。

「いつも言ってるけどな、それなら自分で調達しろってんだよ」

コイツが煙草を吸う時は、いつもオレのから一本拝借していく。こうして箱ごと持っていくなんてのは、確か始めてだ。

「んー……まあ、考えとくよ」
「おまえさんのそれは絶対にないってことだろ」
「そうかもね」

……なんだか、調子が狂う。会話は続く。けれども、いつものような小気味よさがない。

「暇だろ。……ほら、君も吸うかそれとも……」
「吸いますよ」

差し出された箱から一本取り出して、咥える。そこでマッチが無いことに気がついた。

「おい、マッチは?」
「使い切っちゃった」
「……オタクに遠慮ってやつがあると思ったオレが馬鹿だったわ」
「酷いな。……ほら、これでいいだろ」

ぐ、と腕を引かれる。触れ合うのは髪でも肌でも唇でもなく、煙草の切っ先だ。呼吸で勢いを増した火が、じんわりとこちらを侵食していく。
至近距離の細いブロンドと、長い睫毛。その下のやや伏せ気味の瞳に見えるのは。
どれだけかそのままでいて、ようやく示し合わせたようにお互い顔を遠ざける。

「一人のが、虚しくなんねぇか?」
「……騒がしいより、ずっといいよ」
「そんなもんかね」
「そんなものだよ。……でも、うん……ロビン……君は……」

必死に背伸びするようなガキのような顔。何かを押し殺しているような、哀れになるような。
そんな風に思うのは、オレの中でこいつをどうにか想っているからか。だからどうだっていうのか。一方的な何かなんて面倒でしんどくて、……それこそ哀れなだけだ。

「……隣、いいよな」
「今更だなあ。……いいに決まってるじゃないか」

じりじりと煙草は短くなる。箱の中身の多くはない。マッチもない。この時間は長く続かない。

「冷えるね」
「だな」

人間みたいなやりとりだ。もうとっくに、そんなもの忘れたはずだったんだが。

「ロビン」
「ん?」

指が伸びて煙草を挟む。そうしてそのまま、またブロンドと睫毛が。

「――君なら、いいんだ。……探しにきてくれて、ありがとう」

こちらこそ、そう言ってもらえて、とても。