白黒的絡繰機譚

結局現実はそんなもの

ザプツェ前提

「先を越された」

店名を見てもピンとこないが、足は覚えていてドアをくぐると「ここだここだ」となる、そんなバーのカウンターでのことだ。
どこか遠い目をしたレディ・キラーが言った。俺に聞かせるというより、ただの独り言の延長……いや、こりゃ自分に言い聞かせてるんだろう。だから唇の裏側まで来ていた言葉にはとりあえず一時停止をかけた。Uターンさせるためにグラスの中身を流し込む。次からはコイツの奢りだな、迷惑料ってやつだ。

「HLで起こらないことなんてない、そう信じていたさ。だが、世界どころか宇宙がひっくり返ろうとも、それだけはないと僕は信じてきたよ。今だって朝のことは夢だと思ってる。だが同時に、現実だとも確信している」

面倒くさい男だ、今更ながら。ネゴシエートをやりすぎたのか、回りくどい言い回しが多すぎる。
印象の薄いバーテンがグラスを差し出す。受け取って飲み干した。

「始まって2日後には気づいたし、1ヶ月後には末端まで察していた。3ヶ月前までは賭けのネタだったが、1ヶ月前には完全に成立しなくなっていた。だが、そこで終わりだろうと、過半数以上が思っていた」

どうせまだまだ飲むんだ。グラスだと非効率だな。ボトルにするか。

「なのに、だ。先を越された」

ゆらり、と緩慢な動きで奴の顔がこちらに向く。あっちはまだ1杯目すら空けてないのに、目が座ってやがる。
女だったら、これを見てどう思うのかね。スカーフェイスでこれは、流石に怖いんだろうか。

「だから、ダニエル」

口の中で渋滞を起こして暴動寸前の言葉達は、全部胃の中に流し込んだ。この都市で渋滞なんてのは、全部こうやって押し戻すのが手っ取り早いんだ。流石に本当にやりはしないが。

「俺と結婚してくれ」

注ぐのも面倒だから、ボトルごと呷った。そうして俺はやっとこ口を開く。

「お前そういう性格だから、部下に先越されんだぞ」
「そうだな。今はそう思う」

自覚が遅すぎる。お前が絶対に先を越されないと思っていた男の方が、一歩踏み出すのが上手だったとはな。

「ま、いいぜ。受けてやる」

空のボトルで眼の前の男の胸板を叩く。
アイツらより先に、式を挙げてやろうぜ。