白黒的絡繰機譚

灰羽が立ち会う二人の門出

ザプツェに気がついて斜め上行動をする番頭の話

その日、レオナルドは非番だった。

「おい」
「はい」

本部の時計が名目上の昼休憩時間を示した瞬間、次作戦の資料と向き合っていたザップとツェッドは、そう声を掛け合って立ち上がる。

「スティーブンさん、僕達ご飯頂いてきます」
「ん。じゃあ帰りに僕のも頼むよ。何時ものでいいから」
「分かりました」

スティーブンは書類から顔もあげずに二人を見送ってから暫くして「おや?」と首を傾げた。
ザップとツェッドが昼食を共にすることは別に珍しいことではない。ただし、それはレオナルドという緩和剤があって成り立つ光景だ。戦闘に置ける連携以外は、基本的に小競り合いの絶えない二人だったはずである。
その筈だが……、とスティーブンは今朝からの二人の様子を思い返す。
作戦に関するやり取りを時折していた以外、随分とおとなしいものだった。どんなに集中して仕事をしていようとも、あの二人が言い争いでも始めれば、気が付かないわけがないので、それは事実だ。
そういえば、とスティーブンは数日前の親友の言葉を思い出す。

「ザップとツェッドは、打ち解けてきたようだ」

いつものように観葉植物に水を与えながらの言葉に、自分は確か適当な相槌を打っただけだったように思う。クラウスも特にそれ以上言葉を続けることはなく、会話は終わった。
今日の二人の様子を見るに、その言葉は正しいのだろう。けれども、何故だろうか。どこか違和感を感じる。
打ち解けてきた。確かに、そうなのだろう。でも、本当にそれだけだろうか。

「……あー」

がりがり、と頭を掻いてスティーブンは思考を打ち切る。考えても仕方ない。静かならそれでいい。そういうことにしておけばいいだけだ。
――二人のいなくなった空間の静かは、ただただ空虚な静かを湛えていた。


その日、スティーブンは疲れきっていた。午前中から始まった大規模暴動の鎮圧が終わったのは、ほぼ休みなしの9時間半後。勿論現地解散となり、彼も帰路に着く筈だった。しかし、何故だか家にまっすぐ帰る気にも、何処かで時間を潰す気にもなれず、足が向いたのは職場であるライブラ本部である。
急ぎの仕事があるわけではないが、少し明日の負担を減らしても良いだろう……と思う辺り、とんだワーカホリックだと自嘲するしかない。
人気のないライブラ本部はほんの少しの月明かりだけに彩られ、しんと静まり返っている。スティーブンが己のデスクへと歩みを進めると、細やかな話し声が聞こえてきた。片方はここで生活をしているツェッドに違いないだろう。すると相手は、誰だろうか。と言っても、選択肢は限られている。つまり答えは――。

「ザップか」

もしやまたツェッドに飲み代でも集りに来たのだろうか。あれだけ動いた後なのに元気なことだと、スティーブンは溜息を吐く。積極的に厄介に首を突っ込むつもりはないが、ツェッドの水槽の置いてあるあの部屋は、クラウスの大事な植物達の居所でもある。もしそれらに被害が及ぶ事態になったらいけないと、もう少し内容が聞き取れるよう扉の前へと歩みを進める。

「――いい加減にしてください」

ツェッドの苛立ったような声が聞こえる。案の定か、とスティーブンは思った。

「うるせ。いいだろ、ちょっと我慢したしよ」
「貴方の我慢はたった一日じゃないですか。少しは僕の身も」
「ツェッド」

お前、そんな声が出せるのか。
スティーブンは目を見開く。ただの同僚を、弟弟子を呼ぶ声色ではない。それはまるで――。

「オメーだってヤる気だろ」
「それはその……戦闘をすれば、少しは」
「だったらいいだろ。その手どけろ」
「嫌です。……貴方にキスをされると、なし崩しにされる。それに、ここでなんて。もし誰か来たら」
「来るかよ。つか、俺は来ても困んねぇし?」
「困らないって、貴方」
「……どーせそのうち相手がオメーかどうかはともかく、俺が変わっちまったのはバレんだろ。香水の匂いしねーし、女絡みで怪我しねーし」

そうだ。最近のザップは、怪我の頻度が減った。遅刻の回収を命じられたレオナルドが、鼻をひん曲げているのもここのところ見ていないように思う。

「……貴方に関しては、皆喜ぶでしょうね。頭痛の種が減るんですから」
「で、もし聞かれたら俺はショージキに言っちまうぜ?」
「っ、馬鹿ですか!貴方は!」
「もーいい加減黙れ。魚類が人様のメンツの心配なんてすんな」
「……」
「寧ろテメーの心配しろ。絶対言われるぜ?やめとけ、別れろって」

容易に想像が出来た。皆口々に言うだろう。恐らく、自分も。

「……僕は貴方と違って、無責任に交際なんかしません、から」
「奇遇だな。俺も無責任に魚類と交際はしねーわ」

――ああ、そういう事か。
意外どころではない事実のはずだが、スティーブンの心にストンと収まった。
そしてスティーブンは、足音を立てないように相当な注意を払いながらゆっくりと扉から離れる。頭のなかには沢山の用語と手続きとそれに伴う煩雑なものが溢れては消えていく。
普段ならば自分のすることではない。けれども今は、思わず鼻歌が歌えてしまえそうな程に楽しみで仕方がなかった。




「ザップ、ツェッド。ちょっとこっちに来てくれ」
「なんスか、スターフェイズさん」
「はい」

スティーブンが二人の『秘密』を知って、3日後の昼間の事だった。クラウスはギルベルトを伴って園芸サークルの集まりへ、K・Kは非番、チェインは人狼局へ出向いており、レオナルドは適当なお使いを頼んで外出させた。つまり、スティーブンはこの場に3人きりになるのを待って、二人を呼びつけている。
顔も声も、平常を保っているつもりだが、二人には通じているだろうか。

「ここにサインしてくれ」

丁重にファイルに入れられていた1枚の紙を、二人の前に置く。それを見た瞬間、二人の動きが止まった。

「どうした?何か不都合でもあるのかい」

思い描いた通りの反応に、スティーブンは目を細める。
――彼の置いた紙は、一般的に『婚姻届』と呼ばれるそれであった。既に証人欄は埋まっている。

「いやいやいや、冗談っすよね?」
「はははは。ザップ、まさか僕が冗談でここまですると思うのか?」

すい、とスティーブンは婚姻届の上に書類を重ねる。二人が引きつった顔で取り上げたそれは、とある一軒家の賃貸契約書だった。

「いやあ、苦労したよ。特注の水槽を置ける物件なんてあるもんじゃないからね。そこは大家さんがとてもいい人でね、退去時に自費で元に戻すなら何をしたって良いそうだ。ああ、買い取りも可能だぞ」
「うお……マジっすか……」
「因みに水槽設置の工事業者も手配済みだ」
「えっ……」
「いやあ、良い立地の家だったよ。平均生還率の高い地域だし、周りにひと通りの店は揃ってる。ご近所は同性婚にに目立った偏見はない」

僕が住みたいくらいだね。
と、笑うスティーブンに、二人の顔は引きつりが戻りそうにもない。加えてだらだらと汗が滴り落ちるような状況だ。

「ああ、それ以外の諸々の手続きの準備もできているからな。そうだ、新しく住宅手当を追加しとくからな。水道代の足しくらいにはなるだろう」

完全に外堀は埋められている。もう身動きが取れないほどのそれは、まるで氷のように恐ろしい。

「……ザップ、ツェッド」

それまでの口調より随分優しく、スティーブンが二人を呼んだ。

「別に嫌なら嫌といえばいい。でも僕は、僕なりに本気に、君達は結ばれるべきだと思っている。夫婦に、家族になればいいと思っているよ」
「……!」

家族。
その言葉に二人の心がざわめく。お互いに縁のなかった、そしてこれからも縁のないと思っていた言葉と関係性。

「さあ、どうする?」

にっこりと笑ったその顔は、さて二人にどう見えたのか。




****




「……で、そんな話を俺にしてどうすんだ」

苦虫を噛み潰した表情で呟いたのは、ダニエル・ロウ警部補であった。いつもの通りある組織の動向の調査をライブラに手伝わせる気で呼び出しただけ、の筈だったのだが、本題が終わるやいなや怒涛の攻勢で聞かされたのがスティーブンのお節介としか言えない行動の数々だ。
今回の件は以前のようにクラウスを焚き付ける必要はない、そう判断しスティーブンだけを呼び出したのが間違いだったのだろう。恐らく彼は、リーダーさえいれば流石にこんな行動はしない……筈である。
早く帰ってデスクで足を投げ出したい。それだけを思ってロウは虚空を見上げる。

「どうする、か。……他のやり方があったかどうかでも聞きたい……のかもしれない」
「オイオイ、氷の男にしちゃ随分弱気な台詞だな」
「まあ丁重に断られたからね。あのザップの素直な土下座なんて早々見れるもんじゃない」

そりゃそうだろ、と言いたいのをロウはしっかりと飲み込む。血界の眷属でも犯罪者でもないのに氷漬けになるのは御免こうむる。
大体、結婚というのは当事者同士の問題で、外部がああだこうだ言ったところで大抵うまくいかない……というのを、部下で散々に見てきている。経験に基づくものではないので、口には出さない。

「つぅかよ、ホントに俺にしてどうすんだそんな話。俺にテメェの求めるワンポイントアドバイスなんざ出来やしねぇし、てかこれからお前らに出くわす度にビミョーな気分になんだろが」
「ははは、すまないね。でも、君なら僕と違った視点があるかなと」
「お仲間でやりな、んなの」
「お仲間だけで済む話じゃあないからな。世間とのお話だ」
「……ま、どうせ最終的には収まるだろ。適当に見守ってやれよ」

そう呟くと、スティーブンが目を丸くしてロウを見た。

「そうだな」

楽しそうに、スティーブンが微笑む。

「楽しみが先に延びたと思って、ゆっくりじっくりやっていくさ」
ああ、コイツは本当にとんでもない男だな。
ロウは一瞬でも同情した自分に呆れながら、虚空を見上げて目を閉じた。