白黒的絡繰機譚

その花弁の色は、彼らだけが知っている

「君の一日を、私にくれないだろうか」

その申し出に、僕は何も考えず「分かりました」と答えた。一日で済むのなら、今回の案件は簡単な方だ、そんなことを思いながら、ギルベルトさんの淹れてくれた紅茶を飲む。
――そして、気がつく。

「く、くくく、クラウスさん、それってその、もしかして」

現在時刻はPM8:00を回ったところ。秘密結社ライブラの本部には僕とクラウスさん、ギルベルトさんの3人しかいない。
仕事が終わって、僕たち以外の人がいない時。そんな時は紅茶を飲みながら――恋人同士としての時間を取ろう。そう決めたのはまだ、ついこの間のことだ。緊急要請があるまで、仕事の話はしない。紅茶を淹れてもらった後は、飲み干すまでただ二人っきりのお茶菓子のような時間。
そんな今、クラウスさんの指す言葉の意味。答えは勘違いでなければ、ただひとつ。

「デートの、誘いってことで……いいんです、よね」
「……うむ」

少し伏せられた、クラウスさんの表情はいつも通りわかりやすい。
……そうか、デートか。残念ながら恋愛経験の乏しい僕の頭のなかにあるデートは、創作物のふんわりした現実味のないものばかり。そもそも、デート相手がこの人で、デート場所がこのHLのどこかである時点で、そんな頭のなかのものは全部ほおり出して問題ない。多分。

「クラウス・V・ラインヘルツ、君に最高の一日をプレゼントすることを約束しよう」

しっかりと両手を包み込まれて言われた台詞。ああもう、この人なんでこんなに紳士でカッコイイんだチクショウ。




さて、そんな甘い夜を終えて朝が来れば、僕たちはいつも通りだ。僕はまたザップさんを引っ張ってくる役を押し付けられて朝からとんだとばっちりを受けての出勤。慣れたくもないのに、慣れざるを得ないこの境遇。
HLは僕の憂鬱な朝や、昨晩の甘い時間なんてクソ食らえ、とばかりに悪い方向に絶好調だ。
僕に出来ることは、この眼をフル活用して役割を果たすこと。そして自分の身の安全確保と、クラウスさんの無事を祈ること。HLの医療、特にルシアナ先生の技術は一級品なので、怪我なんてしたうちに入らないことだって多い。でも、ちょっとでも過ぎた怪我をすれば、優しくて紳士なあの人はきっと予定を変更するだろう。それは嫌だ、と僕の内側から声がする。だってもう、待ちきれなくて仕方ないんだから。

「おうおう陰毛さっきからなーに百面相してやがる」
「うるせーですよ。こっちは真剣に報告書書いてるってのに、ほったらかして遊びに行った下半身野郎」
「んだとクソチビ、いーんだよ旦那も番頭もいねーんだしよ」
「え?」

スティーブンさんは事後処理に回って不在なのは知っていたが、さっきまでクラウスさんはこの部屋にいた。デスクに顔を向けると、そこはザップさんの言うとおり主不在だ。

「あれ、さっきまで……」
「オメェになんも言ってねぇの? じゃあ水やりか?チッ、すぐ帰って来ちまうな……」
「……」
「というとこでオメェの報告書パクらせてもらっからまたガンバレ」
「はぁあー!?」

一方的なもぎ取られた報告書を視野混交とソニックの協力で何とか取り戻し、やってきたツェッドさんにザップさんが見張られて強制コースになっても、クラウスさんは戻ってこなかった。




――それから、クラウスさんはどこかおかしかった。
おかしかった、と言うのは僕から見て、なので他の人から見たら普段とそんなに変わりがないのかもしれない。
でも、普段以上にそっといなくなる時間が増えた。まあ殆ど、植物の世話だったけど。あと、プロスフェアーをしてる時間が減った。真剣にパソコンを見つめて動かないから、長考中なのかなとちらっと覗いてみたら、見てるのは何故か天気予報のサイトだったり、何かしらのレポートらしきものを読んでいたり。
それと――あの日以来、僕たちはお茶を飲んでいない。正直、他はともかく僕としてはこれが一番キてる。あの時間がないから、どうしたんですか、と尋ねてもクラウスさんは僕の望んでいる意味での返事をくれない。
だから、不安になる。時間だけが流れて、約束の日が近づいてくる。でも、僕たちの距離はどこか離れていくようだった。
それでも、日付は進んで時計の針は回る。不安と緊張でぐっちゃぐっちゃだった僕は、まあ殆ど眠れてない。それを鏡の前でいつも通りになっていると何回も確認して、狭い部屋の中をぐるぐる回りすぎてソニックにすら落ち着けとばかりに鳴き声を上げられて、漸く時間がやってきた。
59秒からきっちり00秒に変わる瞬間に鳴ったベルに、ほんの少しだけ緊張が解れる。本当にほんの少しだけど。ドアを開けると、そこに身体を収めようとするように少し屈んだクラウスさんが立っていた。このアパートには、色々な意味で不釣り合いだ。

「――おはよう、レオナルド」
「おはようございます、クラウスさん」

多分上手く笑えた。大丈夫、僕は普通通り。

「時間きっちりすぎて、ちょっとびっくりしちゃいました」
「む、驚かせてしまったか」
「でも嬉しいですよ」

貴方に一秒でも早く会いたかったのは本当の気持ち。それに少し違う色が混ざっているのは、押しのける。

「レオ」

染み渡る低い声。そうだ、これ久しぶりに聞く。

「出かける前に、君に一つ謝罪をしなければならない」
「クラウスさん……?」

どくん。心臓が嫌な音を立てる。クラウスさんの顔からは、真剣さ以外の色が読み取れない。

「約束をした日から、ずっと」
「……」

鬼が出る?蛇が出る?いやいやそれよりもっと凄いもの?

「君に……花束を贈ろうと思っていた。本来なら、極上のものを手配するべきなのだろうが……私は、己の育てたものを君に贈りたいと、そう望んだ」

増えた立席と不在、プロスフェアーより真剣に見ていた天気予報と文献、答えの得られない質問。
その意味を僕はようやく理解する。

「今日の朝、花束に出来る量の薔薇が咲く予定だった。だが……」

そろそろと隠されていたクラウスさんの右手が僕へと差し出される。
――美しい薔薇が一輪、丁寧にラッピングされていた。

「植物は、生きている。それを私個人の我儘に合わせようというのは、無理な話だったのだ。……すまない、レオ」
「クラウスさん」

身体が震える。頭が、顔が、心臓が、全身が熱くて死んでしまいそうな、そんな気持ちが血液よりも速く駆け巡って、どうにかなってしまいそうだ。
ああ、ミシェーラ。君もトビーとあの場所に行く時に、行った時にこんな気持ちを味わったのだろうか。兄ちゃんは今にも息が止まってしまいそうだよ。

「とても……とても、嬉しいです」

酷く熱くなった両手のひらを、クラウスさんの右手に重ねる。僕よりもずっと大きくて、ずっと熱い。
貴方も僕と同じ気持ちですか。

「君が喜んでくれるなら、私もとても嬉しい」
「クラウスさん」
「レオ」

――きっと今日の予定は、バッチリしっかり組んである。
でもいきなりごめんなさい、変更してくださいね。
まずは花瓶を買いに行かないと!








「……綺麗な花」
「! ……チェインさん」

今はまだ平和なHLの昼下がり。僕とソニックしかいなかった本部に音もなく現れたのはチェインさんだ。ソファに座った僕の後ろに立つチェインさんは、僕のスマホをまじまじと眺めている。

「自分で撮ったの?」
「ええ、中々上手くいかなくて何度もやり直しましたけど……」

スマホの壁紙に設定しているのは、あの日クラウスさんが贈ってくれた薔薇の一輪挿しだ。茎の先まで眺めていたくて、買った花瓶はガラス製の本当にシンプルなもの。背景は窓から差し込む朝日。花びらに少し水を垂らして、反射して輝くようにして何枚も何枚も撮った中で、一番綺麗に撮れたと自負してる。

「とても上手いと思うよ」
「ありがとうございます」

チェインさんの言葉に、頭を下げる。でも、この薔薇が本当に綺麗なのは、あの人が育てたから。僕の写真技術なんて微々たるものだ。

「でも、これどうしたの?」
「……あー、貰いました。クラウスさん、から」

変に嘘をついても苦しいだけなので、正直に答える。きっとチェインさんならもし何か思っても、胸に秘めておいてくれるだろう。
チェインさんはぱちり、と瞬きをして、ふんわり笑った。

「そう。だからかな、本当に綺麗。羨ましい」
「ええ、本当に綺麗な薔薇です。僕の家なんかに置くの、勿体無いくらいに」
「そんなことないよ。君の家だから、似合う薔薇だよ」
「……えへへ」

くすぐったい言葉に、頬を掻く。何照れてんだよ、という風にソニックが僕の肩を叩いてきた。
――きっと、またクラウスさんは僕に花をくれるんだろう。そして僕はその度に写真を撮って、それを大事に抱きしめるんだ。

「レオナルド」
「あ、クラウスさん……!?」

そうだ、あの日咲かなかったから。

「また受け取ってくれないか」

両手に余るほどの花束を渡された僕を、チェインさんとソニックが笑って見守っていた。