白黒的絡繰機譚

心臓にメス

「さよなら」

例えば、もし、お前にそう言われたら。
万が一。もしも。そういう可能性としては、あるのかもしれない。
けれど、それ以外としては、無しだ。
だって、当たり前だろう?
俺はお前を必要としている、これが事実であり理由なのだから。
けれど、可能性が存在している以上、考えない訳にもいかないんだ。

「だから、言え。たった一言で良い。それだけを、俺に」

それ以外は要らない。欲しくない。
だから、早く俺を安心させろ。

「……」

お前の唇は動かない。沈黙を守ったままで俺を見上げる。
何故?

「……動かないか?」

例えば、死後硬直の様に。
声を出したくとも、動かないのかもしれない。……そうだろう?
一言、たった一言で良いと俺は言っているのに。それは与えられない。
それ以外は要らないと叫んでいるのに。
口約束、それ以上の効力は持たない一言で良い。
今夜夢を見ずに眠る程度の安心感をくれないか。
得られなければ……。

「刺してしまうかもしれない」
「……かも、じゃねぇだろ」

乾いた、掠れた、苦しそうな声だった。
その理由は『俺がいつの間にか首にかけた手に手に力を込めていたから』なのだと、今気が付いた。

「お前は……刺すだろ。絶対」
「そう思うか?」

確かに、刺さないとは言い切れない。
血が好きで、肉が好きで、切断する事が好きだから。
これだけの条件がそろっているのならば、思うなという方が無理かもしれない。

「ああ、思うね。俺が今お前と約束しようと、何しようと、お前は刺す。ケタケタ笑いながら楽しそうに俺を刺す」
「楽しそう……。確かに楽しそうだ」

刺す場所によっては、約束も必要ないかもしれない。
……少しだけ、燻っている不安が晴れた。

「だが、俺は全力で逃げるぞ。お前に刺されるなんて、真っ平だ」
「……大人しく刺されておけ。楽になる」

楽になるのは、俺の方だが。

「馬鹿言うな。違う意味で楽になるわ」

違う意味……ああ、そういう事か。
そうしないという保証は、出来ないからお前の不安も尤もだ。

「なら、約束してくれ。さっきから言っている。一言だけで良い」
「……」

何故、お前は黙る?
俺はその理由が知りたい。
けれど同時に分かりたくないとも思う。

「べーべべ」
「……分かったよ。お前の要求は呑めないが、約束してやる。条件付きだがな」
「……?」
「その時は、刺されてやる。但し、心臓以外だ」

これは、これが約束だろうか。
分からないけれど、確かに約束した。
果たされる事がほぼ確定した、嫌な約束ではあるが、確かに。

「分かった。刺してやる。心臓以外に、必ず」

お前が俺の前から消える時。
……もしもその時が来たら、俺は一体何処に刺そうとするのだろう。