白黒的絡繰機譚

こどものわがまま

目を開けるとヤツがいた。

「……」

こういう状況は初めてじゃない。今までにも何度かあった。
何時も何をするわけでもなく、ただただ無言で俺を見下ろしている。酷く、不安定な眼で見つめるだけ。
それはまるで訳も分からないまま親に捨てられた幼い子供のような眼だ。
――白狂とこんな関係をもつようになったのは何時からだっただろうか。
具体的な期間は一切覚えていないくせに、その始まりだけはしっかりと覚えている。
夜、どんより曇った暗いじめじめした夜の、アイツの部屋だ。血の匂いが充満した部屋がとても不快だった。
薄明かりの中、俺の上に馬乗りになってアイツは言った

「べーべべ、お前は違うよな?あの女とは違うよな?」

何が、と言う前に俺の口は塞がれた。
鉄の味のする唇と舌は、部屋以上の不快感を俺に与えた。

「……っ、が……ぅ……」

突然の行為と吐き気をもよおす臭いに思考がついていかない。
口から肺に充満する臭いを追い出したいのに息が上手く吸えない。
力が抜けて抵抗もできない。

「……っは」

解放されたころには、俺の口内は変な乾きを訴えてとっさには声を出せなかった。
俺の上に乗っている奴は、その沈黙を了承とみなしたのかもう一度深く口づけてくる。
まるで何かを吸い取られるようなそれに俺は完全に抵抗する気力を失い、何度も何度も繰り返されるそれをどこか他人事のような気持ちで受け入れていた。

「ベーベベ……」

上から聞こえるのは甘える子供のような声色。
それが、俺の耳元で囁いた。

「おれをみすてないで、あいしてるから、みすてないで。おれといっしょにいて」
「……お前、見捨てられたことが、あるのか」

やっと出したか細い声で聞けば、

「地上の奴らは皆、俺を見捨てた。――勿論、母さんも」

そう返された。
鼻をくすぐる血生臭さと、口に残る感触と味以上の不快感が俺を襲う。

「だけど、ベーベベ、お前は違うだろう?違うと言ってくれないか」

有無を言わさぬ、それでいて縋りつくような声に俺は答えた。

「違う」

あの日、確かに俺はそう答えた。

「――べーべべ」

あの時と同じように俺を呼ぶ。
俺はその声に今更抗うことができない。
今夜もまた、俺を抱くのは大きな子供とでも言うべき男だ。

「あいしてるから、みすてないで」

毎回そんな、少し我儘な懇願をして、縋りつく様に俺を抱くのだ。

「白狂」

多少頭のネジはおかしいかもしれないが、コイツは決して馬鹿じゃあない。
何時かちゃんと、理解できる日が来るだろう。

「俺は」
「べーべべ」

今はまだ、勘違いと思いこみのままに言葉は拒否されるけれども、きっとその日は来るだろう。
――別に俺が、見捨てたりしないことを知る日が、きっと。